2026/01/26
コラム
みやけ工務店について③

★試練の時
受注のほとんどを依存していた日本電建の解散。
それは、三宅工務店にとって致命的な出来事でした。
突然、仕事がなくなる。
いざ自力で受注を取ろうとしても、
何をすればいいのか分からない。
当時の弊社は、いわゆる地元のごく平凡な工務店。
特別なセールスポイントもなく、
自社カタログも、オリジナル商品もありません。
強いて言えば、
「他社より少し安く家が建てられる」
その程度でした。
安価な施工は、下請け時代に身につけたスキルです。
しかし、
「お家を安く建てられますよ」
そう訴えても、お客様の心にはなかなか響きませんでした。
訴求力が弱いのです。
「安かろう悪かろうじゃないの?」
そう思われてしまうのがオチでした。
商品内容が明確でなく、
何がどう安いのかを説明できない。
それが、当時の弊社の現実でした。
商品力のない平凡な工務店。
そうなると、頼れるのは人脈しかありません。
先代の知人や友人に家を建ててもらう。
そんな原始的な営業しかできませんでした。
しかし、人脈にも限界があります。
やがて目に見えて受注は減っていきました。
売り上げが上がらない。
運転資金は借金に頼るしかない。
まさに、負のスパイラルです。
経費削減のため、会社の警備保障を解約。
焙煎コーヒーも、いつの間にかインスタントに変わっていました。
こまめに電気を消す。
小さな節約を積み重ねる。
それでも、焼け石に水。
業績が好転する兆しは、まったく見えませんでした。
★あるスタッフの言葉が、すべてを変えた
そんな苦しい台所事情のなか、
最盛期には7人いた社員も、ついに4人まで減りました。
先代。
奥さん。
現社長。
そして、事務員さん。
ある日、状況を見かねた事務員さんが、
涙ながらに先代へこう告げます。
「私が居ては、会社の負担になるだけなので
退職させてください」
この言葉に、先代は深く自省したと言います。
日本電建の下請けをしていた頃。
安定した受注に慢心し、
高級腕時計を身に付け、海外旅行にも出かけ、毎晩のように飲み歩いた。
それがいつの間にか、
事務員一人も雇えない経営者になっていた。
「このままでは、三宅工務店は終わる……」
先代は一念発起し、
会社の再建に本気で乗り出します。
セミナーに通い、
書物を読み漁り、
三宅工務店が進むべき道を必死に模索しました。
そして、ひとつの方向性にたどり着きます。
★適正価格住宅という答え
それが「適正価格住宅」。
いわゆる、ローコスト住宅です。
当時は
「日本の住宅価格は、欧米に比べて高すぎる」
と言われていた時代でした。
今の日本からすると信じられない話ですがね。
私たち自身、
お金の苦労を嫌というほど経験してきました。
住宅ローンが、
生活を圧迫するようなものであってはいけない。
誰の手にも届く価格帯、
それでいて高品質な家を提供したい。
低価格で高品質。
一見、矛盾しているような理想です。
それでも、
この理想を形にしようと、本気で商品開発に取り組みました。
そして誕生したのが――
「ハピネスシリーズ」
ここから、
三宅工務店の再建が、本当の意味で始まります。
~ハピネスシリーズについて①へ続く









